奇声蟲の脅威 - The threat of noise -


ひびき、ノイエンとフェニタが出発したのは、朝の気配が去って、日中の暖かさが空気を満たした時間となった。
準備ができたひびきが、偽装したミリアルデ・ブリッツをノイエンの起動歌で起動させて立ち上がらせると、その足元にいたノイエンの元へフェニタがやってきた。服装は同様だったが、朝と違い背嚢を背負い、腰にもポーチがいくつか付いたベルトを巻いた、準備万端といった様子をしている。
「まいりましょう。しばらくは心配なく行けます。草木の丈も低くてまばらですし。」
ひびきは、ミリアルデ・ブリッツの左右の手のひらにそれぞれノイエンとフェニタを乗せ、奏甲を歩かせ始めた。話をするために、いずれの手もコクピットの近くに寄せているため、ミリアルデは前で手のひらを上に開いて、左右の手を付き合わせるような状態のまま、歩くことになる。
「ノイエン。奇声蟲と人の関係を教えて。」
ひびきがたずねた。
「あまり品の良い話じゃないよ。」
ノイエンは、ミリアルデの反対側の手の上にいるフェニタを一目見たが、話し方はひびきと2人のときと変えずに、話し始めた。
「そもそも奇声蟲は異次元から侵入してくるわ。だけどそれだけじゃなくて、奇声蟲がアーカイアにおいて殖えていることもわかってるの。
侵入してきた奇声蟲を、貴族、衛兵と種別で呼んでいるのは、アーカイア人がそうしているだけだけど、その種類を問わず、奇声蟲は人体を苗床にして殖えるの。」
「具体的には、どういうこと?」
「奇声蟲は、人の体に卵を産み付けるの。
奇声蟲のどの種類も、奇声で麻痺させた人間を連れ去ろうとするわ。連れ去って、彼らにとって安全なところで、さらった人の体内に管を使って卵を産み付けるの。
卵はしばらくすると体内で孵って、腹部を食い破って出てくる。早くて二週間、遅いと一ヶ月くらい後のことなのだけど、普通の状態からいきなりではなく、短い期間に急激にお腹が大きくなっていくから、すぐわかるわ。
人の腹から出てきた奇声蟲は小さめの樽くらいの大きさはある。もちろん、苗床にされた人は死んでしまうわ。」
ひびきは奇声蟲にさらわれた時の事態の深刻さを、強烈な嫌悪感とともに思い知った。管、体内という語から、生理的に寒気がするような情景が思い浮かんでしまう。
「そうやって生まれた奇声蟲は、すぐには人が武器で退治できる大きさだけど、奏甲で相手をする大きさになるのにそう長い期間はかからない。そのうえ、奇声を発して、また同じことをできる能力を、最初から持ってるわ。
さらわれた人が逃げてきて、人里で奇声蟲が孵り、村が全滅したという話もあるの。歌姫大戦の記録には、疑心暗鬼にとらわれて奇声蟲に襲われたと疑われた人を、それだけで殺したりといった話もあるわ。」
ひびきは、自分の知識から寄生バチのことを、おぼろげに思い浮かべた。必ず人を殺してしまう、絶対奏甲でなければ相手ができない巨大な敵。そんな存在とは、相容れようがない。寄生バチのように食物連鎖の中のことだったとしても、卵を産み付けられる側の虫に、人のように意思があれば抵抗して戦うだろう。
「白銀の歌姫が言ったことが、ほんとかどうかは判らない。だけどアーカイアに奇声蟲が一匹でもいるうちは、誰一人として安心できないことは、間違いないわ。
フェニタが言っている遺体は、その奇声蟲がお腹を食い破ったことで命を落としたことを示すような状態であるということ。でしょう、フェニタ。」
「さようです。朽ちてきていますが、状態から奇声蟲のことで命を落としたと思われます。お目汚しかもしれませんが、歌姫様がお調べされるかと思い、そのままにしてございます。」
「そう、判ったわ。」
ノイエンは応えた。ひびきは、それ以上たずねる気が失せて、だまってミリアルデを歩かせた。

しばらくミリアルデを進ませていくと、低木が増え始め、川の枯れた細い跡をわたると、突然森が始まった。そこに分け入ると、すぐにフェニタが言った。
「まもなくです。あの大きめの木の向こうです。」
「ひびき、止めて。」
ノイエンの声に、ひびきは奏甲の歩行を止めた。手に乗せている2人が勢いで落ちてしまわないよう腕も操作する。
「地上に降ろして。見てくるから。元の世界では、ひびきはあまり生き物の死体とかみてないんでしょ?ここで待って、待ってて。」
ノイエンは、下がり始めた奏甲の手のひらから早々に飛び降りると、フェニタがそれを追って降りるのを待って、彼女が示した場所へ向かっていった。
ひびきは、ノイエンとフェニタを地面へおろすためにしゃがませたミリアルデを、再び立ち上がらせた。


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