ささやかな凱歌 - The tiny victory -


ひびきは、剣の刀身を一度池の水につけ、手近な木でぬぐってから鞘に戻した。そこまですると、ノイエンの支援歌が打ち切られた。ミリアルデ・ブリッツは戦闘起動の状態を脱して、動作、反応とも遅い通常状態に戻った。
丘のくずれた斜面を背に池を取り囲む自然の中、奇声蟲の屍の周囲だけが、まるで暗くなっているような印象を受ける。奇声蟲のグロテスクな外見もそうだが、弔ったとはいえ、それがアーカイア人の腹を裂いてこの世界に現れたことを考えると、さらに不快な印象は深まる。
「これで終わりだよね。」
ひびきは思わす、そうこぼした。ダメージを受けたミリアルデの腕を見てみた。だが、すこし傷があるだけで、それも表面の装甲だけの軽いものだった。
『思わず織歌を歌っちゃって、大げさな歌術をかけちゃった。ミリアルデは、全然大丈夫よ、ひびき。敵じゃないって言ったでしょ。』
支援の歌は終わっていたが、ひびきが奏甲にいるため、ケーブルで会話を続けた。
「これで終わりかな?」
『大きさからすると、いま倒したのが孵ったヤツだね。
葬った人を襲った奇声蟲とは別なはずだけど、いまのところ近くにいる様子はないし、フェニタもいまの奇声蟲以外の痕跡はないと言ってるから、どっかよそに行ってしまったんでしょ、でしょ。』
「ポザネオ島では、これの倍くらいの大きさの蟲を簡単に倒してたのに、手こずったわ。」
『それは条件だよ。ポザネオでは結界もあったし、ミリアルデも本来の姿とパワーだったわけだし。なんてったって、わたしじゃソルジェリッタ様にはかなわないもの。』
「ううん、ノイエンはよく助けてくれたわ。必要なところで歌術をかけてくれたし。
ヘタクソだったのは私だわ。」
『倒したんだし、気にしないっ!
それより早く帰ろう。この池は綺麗だけど、食事が出てきたりはしないし、寝床もないんだし、奇声蟲の死骸の近くはヤだ。』
「あの奏甲は?」
ひびきは池の向こうの淵、斜面に背をあずける形で座り込んでいる姿勢の、朽ちかけた奏甲に目をやった。だが、ノイエンの返事は冷静だった。
『あのこはダメだと思うよ。アークドライブは歌術で在りかがわかることが多いけど、あの機体のは感じなかったし。あんなになっちゃってちゃ、起動もしないよ。
あの様子だと歌姫大戦のころから、ここにあるんだろうし、もしかしたら英雄と一緒にあそこにいるのかもしれない。そっとしておいた方がいいよ。』
「そっか。そうだね。」
ひびきは、両手を胸の前で合わせて、奏甲とその乗り手の冥福を祈った。
そして、白銀の歌姫が言っていることが、すくなくとも一部は本当であることを響に知らせなくてはと思った。召喚された男性が、幻糸のために奇声蟲となってしまうことを、どうすれば防ぐことができるのかは、まだわからなかったけれど。

避難民の一行の下へ3人が帰り着いたのは、日が暮れてからだった。昼間こそ普通に奏甲を歩かせていたが、フェニタが静かに歩かせて欲しいと言うため、あまり地響きが起きないようにゆっくりと歩かせた。
フェニタが言うには、奏甲について知識があるアーカイアの人々であっても、夕闇や夜になってから重々しい奏甲の足音が近づいてくれば不安をあおる。さらに今回の避難民は、評議会軍と白銀の歌姫の手勢との戦い、つまり互いに奏甲を投入しての戦いから避難してきた人々であるから神経質になっているという。そもそも、奏甲について知っていたといっても、それは伝承や物語の存在であり、実物など見たことのない人のほうが圧倒的に多かったのである。
それでも、正体がわかっていて、そのうえそばにいた奇声蟲を退治した英雄となれば、避難生活の中での、という制限はあるものの、歓迎は一日目の比ではない贅を尽くしたものになった。証明は警備の長であるフェニタがしてくれた。
ひびきとノイエンは、前日よりさらに輪をかけた歓待を受け、よい気分で眠りにつくことができた。
そして次の日、ひびきとノイエンは彼らにとっても本当の英雄として見送られ、避難民の人々のもとから出発したのであった。


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